|
俘虜生活の中で特筆すべきことは、ドイツ兵俘虜エンゲル(入隊するまでは上海工部局管弦楽団のバイオリン奏者)を中心に、収容所内で結成された
オーケストラの活動であり、その名も寺院楽団、途中、丸亀保養楽団と名は変わりますが、大正6年(1917年)4月の収容所閉鎖までの2年5カ月の間に
通算26回もの演奏会を開いています。
使用した楽器は、弦楽器が主だったようですが、最初は手製のものを使ったりしながら苦心して揃えていったようで、丸亀俘虜収容所での音楽活動は、 その後移動した板東収容所でも引き継がれています。 なお、上映された映画「バルトの楽園」で有名になった、板東における日本初のベートーベンの「第九交響曲」の演奏は、ヘルマン・ハンゼン指揮 によるMAK(膠州海軍砲兵大隊)オーケストラによるものです。 (2007.4 丸亀ドイツ兵俘虜研究会) |
| <1914年−大正3年> | |
| 12月 | ヘルマン・ヘスの主唱により寺院楽団を結成する |
| <1915年−大正4年> | |
| 1月10日 | 寺院楽団として初の演奏会を開く |
| 3月 7日 |
第3回演奏会を開催する、収容所合唱団が初めて参加する。
この後、寺院楽団は解散する。 |
| 7月 |
丸亀保養楽団を結成する。 編成は 第1バイオリン:エンゲル、第2バイオリン:モルトレヒト 第3バイオリン:ライスト、第1フルート:ヘス、第2フルート:ヤーコブ オルガン:クラーゼン |
| 7月 8日 |
丸亀保養楽団として初の演奏会を開く ベートベン作曲の「バイオリン協奏曲ニ長調」を独奏する |
| 8月18日 |
第2回演奏会を開催する ビール箱の板で譜面台を作成する |
| 8月29日 |
第3回演奏会を開催する バイオリン奏者としてベルリーナとパウエルが加入する 新しくピアノを借用する |
| 10月17日 |
第4回演奏会を開催する サラサーテ作曲の「ツィゴイネルワイゼン」を独奏する 日刊紙「丸亀日報」が演奏会を論評する |
| 10月22日 |
第5回演奏会を開催する バイオリン奏者としてダーンとヴァイツが加入する 新しくビオラを購入する |
| 10月31日 | 第1回室内楽演奏会を開催する |
| 11月19日 | バイオリン奏者としてコッホとフランツが加入 |
| 12月 5日 | 第2回室内楽演奏会を開催する |
| <1916年−大正5年> | |
| 1月 2日 |
第8回演奏会を開催する 新しくチェロを購入しフォン・ギルボルが担当する |
| 1月23日 | 第3回室内楽演奏会を開催する |
| 2月27日 | 第4回室内楽演奏会を開催する |
| 6月11日 | バイオリン奏者としてハーハマイスターが加入 |
| 7月 9日 | バイオリン奏者としてデールトが加入 |
| 10月21日 | スタインメッツとともに丸亀高等女学校に出向き試験的奏楽を行う |
| 10月22日 |
第17回演奏会を開催する これまで石油缶で作成したシンバルを使用していたが、新しく購入することにした |
| 11月19日 | 第5回演奏会を開催する |
| 12月10日 |
第18回演奏会を開催(第1回交響曲演奏会) シューベルト作曲の「ロザムンデ序曲」を演奏する ベートベン作曲の「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調」を演奏する ハイドン作曲の「交響曲第1番変ホ長調」を演奏する グリーグ作曲の「ペール・ギュント組曲」を演奏する |
| 12月24日 |
第19回演奏会を開催する 別院に野外音楽堂はなかったので、演奏会毎にテント用布地でホールを作った |
| <1917年−大正6年> | |
| 1月 1日 |
第20回演奏会を開催 戦争が長く続くとは誰も考えなかったため、金管楽器の購入は断念した |
| 2月18日 | 第6回室内楽演奏会を開催する |
| 3月18日 |
第22回演奏会を開催する 青島行進曲を作曲し、演奏する バイオリン奏者としてヴェルターが加入する |
| 3月20日 |
第23回演奏会を開催(第2回交響曲演奏会) ベートベン作曲の「エグモント序曲」を演奏する シューベルト作曲の「交響曲ロ短調(未完成)」を演奏する |
| 4月 7日 | 丸亀を立ち、板東へ向かう |
| 1881年 | 6月 5日 | ドレースデン市織布工小路12番地3階で生まれる |
| 1912年 | 10月 | 上海工部局管弦楽団に採用される |
| 1914年 | 8月 | 召集により青島駐屯第3海兵大隊に入隊する |
| 1914年 | 11月16日 | 丸亀収容所に収容される |
| 1917年 | 4月 7日 | 丸亀収容所から板東収容所に移る |
| 1917年 | 5月 | 板東収容所にてエンゲル・オーケストラを結成する |
| 1917年 | 10月21日 | ハンス・ラムゼガー作曲「忠臣蔵」を演奏する |
| 1918年 | 3月 6日 | 徳島県板東町−霊山寺で演奏会を開催する |
| 1918年 |
4月28日 29日 |
ベートーベン作曲「交響曲第5番」を演奏する |
| 1919年 |
2月23日 24日 |
ベートベン作曲「交響曲第1番」を演奏する |
| 1919年 | 3月22日 |
徳島市での和洋大音楽会に出演する エンゲル作曲「シュテッヘル大尉行進曲」を演奏する |
| 1920年 | 1月 | 板東収容所を退所する |
| 1920年 |
1月23日 〜26日 |
肺炎で徳島古川病院に入院する |
| 1920年 | 1月27日 | 神戸港よりハドソン丸でインドネシアへ出航する |
| 1922年 | インドネシアのジョグジャカルタに居住していた |
|
エンゲルオーケストラについて ヘルマン・ヤーコプ著「エンゲル・オーケストラ その生成と発展」による。 1.寺院楽団の結成 丸亀収容所に収容されたドイツ兵は、1914年の始めごろにマンドリンやギター・フルートなどで合奏していたが、クリスマスのころには、始めて一つの楽団として まとまり、「寺院楽団」が結成されることになった。 ・1915年1月10日 第1回コンサートの開催。 ・「寺院楽団」の編成は、バイオリン4、フルート2の 計6名であった。 ・コンサートの会場は、収容所である本派本願寺塩屋別院内で、ドイツ兵を対象者として行われた。 ・「寺院楽団」としてのコンサートは1915年3月7日開催までの3回である。 2.丸亀保養楽団の結成 その後、ヘルマン・ヘス(のちに団長となる)の努力により「丸亀保養楽団」が結成された。 ・1915年7月8日 第1回コンサートの開催。 ・結成当初の編成は、 第1バイニオリン エンゲル 第2バイオリン モルトレヒト 第3バイオリン ライスト 第1フルート ヘス 第2フルート ヤーコプ オルガン クラーーゼン ・写真にもあるが、まずはビール箱の板で譜面台を作った。 ・1915年10月17日のコンサートでは、オルガンの代わりとして、月15円でピアノを借り入れることになった。 この日のコンサートで、エンゲルは第1バイオリン奏者として立ったまま指揮することを試みた。 ・1915年11月10日、20円でビオラを購入、1916年1月19日、45円でチェロの購入を決定、コントラバスは自家製作した。 1916年3月、収容所近くの借用地にオーケストラと収容所合唱団の練習小屋を建設したいと、収容所本部に申し入れたが拒否された。 ・1916年10月21日、香川県立高松師範学校外県立4学校音楽教師の要望により、エンゲルとスタインメッツの2名は丸亀高等女学校に行き、 試験的奏楽をした。 1916年10月末、丸亀市長の示唆で、丸亀高等女学校において公開演奏会開催の依頼があった。団員の間で協議され、開催の決定をしたが、 この件を知らされていなかった収容所長によって、この件は拒否された。善通寺第11師団司令部所在地の将校集会所におけるコンサートも彼が禁止した。 ・1916年11月4日、丸亀高等女学校書記長谷川音次郎が収容所に行き、俘虜音楽教師の件について協議した。(防衛研究所図書館蔵 丸亀俘虜収容所日誌より) ・これまでシンバルは、ブリキ製の石油缶や蓋付きの深鍋で事足りていたが、新しく,4円50銭で購入することにした。 ・こうして編成も整ってきたので、1916年12月10日には、第1回交響曲演奏会を開催することになった。 ・この楽団としては、この戦争が長く続くとは思っていなかったことと、収容所長が周辺に住む住民の妨げになるとして禁止したことにより、金管楽器を持つことはなかった。 ・「丸亀保養楽団」は、1917年3月30日のコンサートまで、全部で23回のコンートを開催した。 ・演奏曲の主なものは、 序曲 :エグモント序曲−ベートーベン、ロザムンデ序曲−シュベルト、 セビリアの理髪師序曲−ロッシーニ、詩人と農夫序曲−スッペ 協奏曲:バイオリン協奏曲−ベートーベン、ピアノ協奏曲−ベートーベン、 バイオリン協奏曲−メンデルスゾーン 交響曲:第1番変ホ長調−ハイドン、ロ短調−シューベルト 組曲 :ペールギュント−グリーグ ・最終コンサート時点の編成は、 第1バイオリン:エンゲル、ヴァイツ、フランコ、ダーン 第2バイオリン:ベルリーナ、コッホ、デールト、ハーハマイスター、ヴェルター ビオラ :モルトレヒト チェロ :ギンボルン 第1フルート :ヘス 第2フルート :ヤーコプ オルガン(ピアノ):クラーゼン シンパル ・このほかに、「室内楽の夕べ」を4回開催している。 ・この楽団の練習場所及び時間は、収容所内の共同浴場で毎週火曜日の午前8時30分から11時30分、金曜日の午後0時30分から午後3時30分までである。 ●合唱団の活動 ・塩屋別院収容所には二つの合唱団があった。 ・一つは、モルトレヒトが指揮する第2中隊隊員が中心の合唱団で、練習時間は、毎週火曜日と金曜日の午後6時から8時までであった。 ・もう一つは、ヤンセンが指揮する第7中隊隊員を中心とする「収容所合唱団」で、練習時間は、毎週火曜日と日曜日の午前9時30分から11時30分までであった。 ・「防衛研究所図書館蔵 戦役俘虜取扱顛末書」によれば、「俘虜の国民性について 宗教上の賛美歌等に至りても血気旺盛なる男子が数十人合唱する声はいかにも勇壮の感あり」 と記している。 ・これらの合唱団は、1915年3月7日に開催された第3回「寺院楽団」コンサートと1915年11月19日に開催された「丸亀保養楽団」の第4回コンサート及び1916年2月13日 開催の第6回コンサートに出演している。 ●マンドリン楽団 ・モルトレヒトが指導するマンドリン楽団があり、楽団名は「エーデルワイス」であった。 |